人生
カントのフルネームは?
→イマヌエル・カント
カントは何年に生まれ、何年に亡くなったか?
→1724年~1804年
カントはどこの生まれか?
→東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現在のロシア・カリーニングラード)
カントは生涯のほとんどをケーニヒスベルクで過ごしたよ。
カントはとても規則正しい生活を送った。そのため、町の人からカントは何の代わりにされていたという逸話があるか?
→時計
毎日同じ時間に同じ場所を散歩するから、町の人から時計代わりに使われていたという逸話があるよ。
カントは1740年にケーニヒスベルク大学に入学するが、どのような学問を研究したか?
→自然学(物理学)
当時はニュートンの活躍で自然学(物理学)が大きく発展しようとしていたんだ。
1770年、カントは46歳のときにケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学教授に任命され、10年近く自分の思想の模索を行った。そして、1781年、ついにカントの主著とも言うべき著作が出版される。それは何か?
→『純粋理性批判』
『純粋理性批判』は、「人間の認識能力や理性には何ができるのか」を考察しているよ。
1788年に出版された、道徳(人間の理想的な行動や生き方)について書かれた著作を何と言うか?
→『実践理性批判』
カントの言う「批判」とは、「吟味する」「熟考する」といったような意味だよ。
1790年に出版された、美的な判断を行う判断力について書かれた著作を何と言うか?
→『判断力批判』
『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三つは、「三批判書」と呼ばれているよ。
カントは、哲学の三大テーマである「真・善・美」全てについて考察したんだ。
1789年に勃発したフランス革命などによって国際情勢が激動する時代となったが、カントはそれに呼応して1795年にある著作を出版した。それは何か?
→『永遠平和のために』
『永遠平和のために』では、国際平和を望み、国際連合のような国際機関の設立を唱えたよ。
1804年カントは逝去するが、カントは最期に何と言ったと伝えられているか?
→「これでよい(Es ist Gut)」
カントの遺体は大学墓地に埋葬され、葬儀は二週間以上にわたって続き、多くの参列者がカントの死を悼んだよ。
カントは、それまでヨーロッパで対立していた2つの思想を統合したと言われている。その2つの思想とは何か?
→(大陸)合理論と(イギリス)経験論
(大陸)合理論:理性を合理的に使うことによって、世界は正しく認識できるという思想。デカルト、スピノザなどが有名な合理論の哲学者。
(イギリス)経験論:理性や人格などは経験によって作られているに過ぎないと考える思想。人間は感覚や経験が集まってできたもの(知覚の束)であると考える。ロックやヒュームなどが有名な経験論の哲学者。
カントによって真理の意味が変わったと言われている。それまでは「世界の原理」や「宇宙の法則」といったものだったが、カント以後はどのようなものになったか?
→人間にとっての真理(人間以外には共有することのできない真理)
カントは、それまでの哲学の対立を統合し、現代に続く新しい哲学の流れを作った。このことを表す有名な言葉は?
→「カント以前の哲学はすべてカントに流れ込み、それ以後の哲学はすべてカントから流れ出る」
カント以後の哲学者の多くが、彼の哲学を引き継いだ上で修正したり批判したりしているよ。
主にプロイセンなどドイツ語圏で広がった、カントを批判・発展させた思想を何と言うか?
→ドイツ観念論
ドイツ観念論は、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルと引き継がれていくよ。
観念論:観念とは心の中にある意識内容や思考対象を指し、観念論はそういった精神的なものを考察する思想のこと。
思想
『純粋理性批判』
カントは『純粋理性批判』で何の限界を明らかにしようとしたか?
→人間の理性
我々はもの自体(世界そのもの)をそのまま認識することはできず、我々は表象(感覚を通して認識している世界)しか認識することができない。このことを表すカントの有名な言葉は?
→「我々の認識が対象に従うのではなく、むしろ対象のほうが我々の認識に従わなければならない」
例えば、人間は3原色(赤・緑・青)を見分けることができるけど、犬は2原色(赤・青)しか見分けることができない。あるいは、昆虫は4原色を見分けることができる。こうなると、人間と犬と昆虫では、見えてる世界の色が違うよね。
このように、人間は、人間特有の形式で作り出した世界(表象)しか認識することができず、人間である限り世界そのものをそのまま認識することはできないとカントは指摘したよ。
カントによって以後の認識論が大きく変わったことを何と言うか?
→コペルニクス的転回
カントの主張によって、(大陸)合理論と(イギリス)経験論の論争が終わり、新たな哲学が始まったよ。そのため、「カント以前の哲学はすべてカントに流れ込み、それ以後の哲学はすべてカントから流れ出る」と言われるんだ。
ニコラウス・コペルニクス:1473年~1543年、ポーランド出身の天文学者。『天球の回転について』という著書で地動説を唱えた。天動説が主流だったこの時代において、天文学史上最も重要な発見をした人物とされる。ちなみに、ガリレオ・ガリレイはコペルニクスの地動説を観測によって実証した人物である。
カントは、人間の認識能力は3つのもので成り立っていると言った。それは何か?
→感性、悟性、理性
感性とは外からの刺激を感覚器官によって受け取る能力のことだが、人間の感性は2つのものに縛られている。それは何と何か?
→時間と空間
カントは、人間の認識には時間の形式と空間の形式がアプリオリ(先験的)に組み込まれていると言ったよ。
アプリオリとは「経験に先立つ」という意味で、経験によって習得するよりも前に、私たちに組み込まれているものということだよ。
感性によって外界から私たちに直接与えられたものを何と言うか?
→直観
悟性とは、「多様を客観的に総合統一する規則」とカントは言ったが、簡単に言うと「カテゴリーに当てはめる能力」のことである。カントは12個のカテゴリー(ものの捉え方)があると言ったが、このカテゴリーを我々はいつ手に入れるか?
→アプリオリに(経験に先立って)備わっている。
つまり、我々は、感性によって得た直観を、悟性の働きで12個のカテゴリーに当てはめることで、世界を認識しているとカントは主張したよ。
そして、この感性も悟性も、人間特有の形式のものが、経験に先立って備わっているんだ。
量のカテゴリー | 質のカテゴリー | 様相のカテゴリー | 関係のカテゴリー |
---|---|---|---|
単一性 | 実在性 | 可能性 | 実体性 |
数多性 | 否定性 | 存在性 | 原因性 |
総体性 | 制限性 | 必然性 | 相互性 |
理性とは、悟性の判断を総合的に関係づける能力のことだが、特に科学的に認識する能力のことを何と言うか?
→理論理性
カントの考え方によると、「神」など人間を超えた存在は、人間にどのように認識されるか?
→そもそも認識することができない。
人間は、人間にもともと備わっている人間特有の形式でしか認識することができない。そのため、人間の感性や悟性に備わっていない形式のものを認識することはできないよ。
そして、これが人間の理性(理論理性)の限界なんだ。
『実践理性批判』
理論理性の限界を明らかにしたカントは、「理性は実践理性として使われるべきだ」と主張した。では、実践理性とは何か?
→自分の意志で道徳法則を立て、それを実践しようとする能力
カントにとっての自由(自由意志)とは、欲望のままに生きることではない。では、カントにとっての自由(自由意志)とは何か?
→理性が命令を下し、自分で自分を律すること。
「欲望のままに生きるのは、欲望に縛られているので自由ではない」とカントは主張したよ。
人間にはアプリオリ(先験的)に、純粋に善を希求する意志が備わっているとカントは言った。この意志のことを何と言うか?
→善意志
善意志が規定した義務に従って行動すれば、その行為は善となり、道徳的な行動になるとカントは主張したよ。
善意志によって行動するとき、つまり、道徳的な行為をするときは、定言命法に従うべきであるとカントは主張した。定言命法とは何か?
→条件なしの命令
条件ありの命令「もし~なら……せよ」は仮言命法と言うよ。
例えば、人を助けるときに、「見返りが欲しいから、助ける」や「周りの人に褒めてもらいたいから、助ける」という打算的な動機で助けた場合は仮言命法だよ。
「助けたいから助ける」や「助けることが正しいから助ける」という自らの信念に基づく動機で助けたら、それが定言命法だよ。
道徳的な行為をするには定言命法に従うべきだとカントは主張したが、定言命法であれば何でもしてよいというわけではない。では、どのような定言命法であれば、道徳的な定言命法であると言えるとカントは考えたか?
→みんながそれをしてもいいような定言命法
例えば、ただ殺人をしたいと思っている人や、殺人を正しいと思っている人にとっての殺人は定言命法だけど、それをみんながしたら世界は破滅してしまうよね。このような定言命法は道徳的とは言えないんだ。
「みんながそれをしてもいいような定言命法こそが道徳的な定言命法である」というカントの主張を表した有名なフレーズは?
→「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」
「格率」とはカントが作った言葉で、「自分の持つ行為規則」という意味だよ。
みずから立てた道徳法則にみずから従える道徳的主体をカントは何と呼んだか?
→人格
カントは、すべての人が道徳的行為の主体であり(実践理性を備えており)、互いに目的とし合える社会を理想とした。このような社会を何と呼んだか?
→目的の王国
目的の王国とは、すべての人間が相手の人格を、手段として使うのではなく、目的として尊重し合える社会のことだよ。
打算的に相手を利用するのではなく、定言命法に従って、ただ相手のために行動し合える社会こと理想だとカントは考えたよ。
カントの名言
われわれの認識が対象に従うのではなく、むしろ対象のほうが我々の認識に従わなければならない。
『純粋理性批判』
人間と言うものは、様々な概念について、それを様々に組み合わせることで、様々な推論を行い、その推論の末に、世界に意味を説明できるような、非常な高度な概念を得ようとしたがるものなのだ。
『純粋理性批判』
汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。
『実践理性批判』
汝は、汝の人格並びにあらゆる他人の人格に於ける人間性を常に同時に目的として使用し、決して手段としてのみ使用しないように、行為せよ。
『実践理性批判』
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※アイキャッチ画像:Gottlieb Doebler – http://www.philosovieth.de/kant-bilder/bilddaten.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32847847による