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セーレン・キルケゴールの人物情報・基本知識・名言

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人物情報

1813年~1855年

デンマークのコペンハーゲンに生まれる。

父によりつらい戒律を課され、規律的な生活をしていた。しかし、ある日の父の告白(キルケゴールは「大地震」と呼んだ)をきっかけに、酒や道楽に溺れる。

キルケゴールの父は貧しい生まれと暮らしであった。そのとき彼は、神を呪った。そのため、彼は2つの罰を受けることになる。後に、彼はビジネスで大成功するが、この成功こそが神から受けた「第一の罰」と考えた。子ができないまま妻が死に、使用人と暴力的な性的交渉の結果7人の子供をもうける。そして、1人(キルケゴール)を除いた6人の子供は33歳までにみな死んだ。これが「第二の罰」である。キリストが磔にされた年齢である34歳まで生きることができない呪いがかかった。

この告白を聞いたキルケゴールは、それまで続けていた規律を守った生活から、酒や道楽におぼれた。

やがてキルケゴールは、自ら犯した罪によって自分を責め続けることこそ人間本来の罪であり、この罪を抱えたまま孤独に生きることこそ自分のすることであると自覚する。そして、父がつらい戒律を課したのは、それに気づかさせるためであり、父の償いであったと考えた。再度、規律的な生活と勉学に励む。

レギーネという女性と婚約したが、自分の罪に巻き込まないために婚約破棄をする。

キルケゴールは実存主義の先駆けとされる。

実存主義:現代社会における人間性喪失という問題をテーマにしている。内面的な変革によって人間が本来的自己に立ち返るべきであると唱えた。

実存(existence):「現実存在」のこと。かけがえのない自分が現実に存在するということである。「人間一般」ではなく、取り換え不可能な個人というものを重視し、人間の主体性回復を目指す。

主著

死にいたる病

『あれか、これか』

基本知識

死にいたる病

死にいたる病とは絶望のことである。

人間は必ず絶望をしてしまう生き物で、いずれ絶望によって自己を喪失する。

主体性が真理

自分が他者とは異なる例外者であることを意識し、自分がそのために生き、死ぬことができるような真理を求めるべきである。

ヘーゲルの思想は、個別の「私」や「あなた」が考慮されておらず、人間が単案る絶対精神のあやつり人形になっている。

実存の三段階

キルケゴールは主体性を求め、「実存の三段階」を生きた。

  1. 美的実存:快楽や美を求め、「あれも、これも」と欲望のおもむくまま楽しく生きる段階。
  2. 倫理的実存:倫理観や正義感に基づき、自己実現をはかる段階。いろいろな可能性の中から「あれか、これか」と1つの選択を行い、道徳的にすぐれた人間として生きる段階。
  3. 宗教的実存:死にいたる病(絶望による自己の喪失)を自覚し、単独者として神と一対一で向き合うことで本来の自分を取り戻す段階。
  1. 美的実存の絶望:享楽的な生活は長くは続かず、満たされないことへの不安や苦悩により、絶望に陥る。
  2. 倫理的実存の絶望:人間はつねに道徳を守れる完全な意志を持ってはおらず、無力感によって絶望に陥る。

そして、絶望か、信仰かという選択の淵に立たされる。最後に、信仰を選びとり、単独者として神の前にひとり立ったとき、宗教的実存が得られる。

神の前に立つときに、「人間一般」としてではなく、ひとりで生まれひとりで死んでいく単独者として立べきである。

キルケゴールは、キリスト者として生きたという願望を持っていたため、このような結論に至った。そのため、キルケゴールの実存主義は宗教的実存主義と呼ばれる。

名言

ヘーゲルは壮大な思想の大伽藍(大きな寺のこと)を建て、自分自身は掘っ立て小屋に住んでいる」


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