ニーチェの人生
ニーチェは何年に生まれ、何年に亡くなったか?
→1844年~1900年
ニーチェはどこの国の生まれか?
→プロイセン王国(現在のドイツ北部)
ライプツィヒ近郊の小村に生まれたよ。
ニーチェのフルネームは?
→フリードリヒ・ニーチェ
ニーチェの両親はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェと名付けたけど、後にニーチェは「ヴィルヘルム」のミドルネームを捨てるよ。
ニーチェが小学生のとき、帰りににわか雨が降ってきた。他の子どもたちは傘がなく走って帰ったが、ニーチェは一人雨の中を頭にハンカチを載せて歩いて帰った。なぜニーチェは走らなかったのか?
→校則に「帰りは走らず静かに帰れ」と書いてあり、ニーチェはそれを真面目に守ったから。
ニーチェの生真面目な性格を表しているね。
ニーチェはどの大学の何学部に進学したか?
→ボン大学の神学部と哲学部
ニーチェの父親は牧師だったから、神学部にも籍を置いたんだ。
ただ、ニーチェ自身は哲学部での古典文献学に強い興味を持ち、後に神学の勉強をやめるよ。
ニーチェはライプツィヒ大学に転学した。そして、ライプツィヒの古本屋で、ニーチェの思想を形成する上で重要な本と出会った。それは何か?
→ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』
ショーペンハウアーは、「世界(表象)の根本には『生への盲目的な意志』がある」と主張したよ。
ニーチェは24歳である職業に就く。それは何か?
→バーゼル大学の教授
ニーチェは博士号も教員資格も持っていなかったけど、類まれなる才能を見出されて、24歳という若さで教授になるよ。
ニーチェが27歳のときに出版した、ニーチェの第一作『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』(後に『悲劇の誕生』と改題)の評価はどうであったか?
→大不評であった。
この悪評が響いたため、ニーチェの講義にはほとんど人が集まらなくなったよ。
ニーチェは偏頭痛などの体調不良によりバーゼル大学を辞職し、療養をしながら執筆活動に専念した。その間に、失恋をし、友人もほとんど失ってしまった。そんな中、1885年に彼の主著ともいえる本を出版する。それは何か?
→『ツァラトゥストラはかく語りき』
超人ツァラトゥストラが主人公の本で、人間の理想像としての超人というあり方が書かれているよ。ただ出版当初は、この本もあまり売れなかったんだ。
ニーチェの執筆活動は1888年(ニーチェ44歳)に突如として終わる。それはなぜか?
→精神を病んでしまったから。(発狂してしまったと言われている。)
ニーチェはトリノの広場で鞭に打たれる馬を見て、駆け寄り、その首を抱いて涙して、そのまま精神崩壊したという逸話があるよ。
そして、1900年、55歳でニーチェは亡くなってしまうよ。
ニーチェの死後、妹のエリーザベトは、ニーチェの遺稿を編纂して『力への意志』という本を刊行した。しかし、これは「贋作」と呼ばれることもある。それはなぜか?
→エリーザベトが恣意的に編集してナチズムに通じるものとの誤解を生んだから。
ニーチェは決してナチズムを肯定していないよ。むしろ、反ユダヤ主義者を批判しているよ。
ニーチェの本や思想は、皮肉にもニーチェが発狂したあたりから評価され始めたんだ。
現代では実存主義の代表的な一人として高く評価され、特に日本では人気が高いよ。
実存主義:現代社会における人間(主体性)の喪失をテーマとしている哲学。生きる道を自分で切り拓き、「今ここにある現実の存在(=実存)」としての自分の在り方を求める思想のこと。
ニーチェの思想
弱者が、今の苦しみに無理やり意味を見つけて自分を納得させるために、弱い自分が「善」であり、強者は「悪」であると決めつける態度のことを何と言うか?
→ルサンチマン
貧乏な人が「金持ちはズルいことをして金儲けをしている悪人だ」と決めつけるような態度のことだよ。
ニーチェはキリスト教道徳のことを何と呼んだか?
→奴隷道徳
ニーチェは、「キリスト教は、ローマ人に迫害されたユダヤ人が、その現実を受け入れられないがために正当化した弱者の物語である」と見なしたよ。そして、「西洋人はキリスト教という奴隷道徳によって主体性を失っている」と考えたよ。
ニーチェはキリスト教のどのような態度をルサンチマンと呼んだか?
→「我々は政治的に負けていたとしても、それは(博愛など)道徳的に優れているからだ」「この世が苦しくても天国で幸せになれる」といった考え。
ニーチェは「キリスト教の教えは全く無意味であり、人は(神のいない)ありのままの世界と生を見つめる必要がある」と考えた。この考えを表す有名な言葉は?
→「神は死んだ」
この世界にはキリスト教徒が信じる神による救済などなく、人間には生きる目的や意義は存在しない。この考えを何と言うか?
→ニヒリズム(虚無主義)
神の視点で作られた道徳を捨て去り、新しく信じるべき道徳を自分で作り出すことができる人のことを何というか?
→超人
超人の対極の概念で、ニーチェは最低の軽蔑すべきものと見なした、社会における大衆のことを指す言葉は何か?
→末人(まつじん)
ニーチェは、この世界は永劫(永遠)回帰していると考えるべきだと主張した。永劫回帰とはどういう意味か?
→全く同じ人生や世界が永遠に繰り返されているという意味。
仏教の輪廻転生とは全く別の概念だよ。輪廻転生は生まれ変わることで異なる生を繰り返すことだけど、永劫回帰は、生まれ変わることなく、全く同じ人生を繰り返すことだよ。
超人は、永劫回帰の虚無感を受け入れる勇気を持っている。この勇気のことを何と言うか?
→運命愛
超人は、自分の人生を全て肯定することができるから、全く同じ人生が永遠に繰り返されたとしても、それを受け入れることができるよ。
それに対して、末人は自分の人生を肯定できないから、全く同じ人生が永遠に繰り返されることに絶望を感じてしまうよ。
超人は、キリスト教の人間観や現在の弱い自分といったものを乗り越える人間である。そのような超人には何が備わっていると、ニーチェは考えたか?
→力への意志
「力への意志」とは、充実した生命力そのもので、自分を肯定し、あらゆる困難を乗り越え強大になろうとする意志のことだよ。
超人に至るためには「ラクダ→獅子→幼子」の3つの段階があるとニーチェは言っている。その1段階目の「ラクダ」とはどのような段階か?
→重い荷物を背負って我慢する段階
自分に積極的に負荷をかけ、自分の強みを獲得する段階だよ。
超人に至るためには「ラクダ→獅子→幼子」の3つの段階があるとニーチェは言っている。その2段階目の「獅子」とはどのような段階か?
→自由を求める段階
既存の価値観や権威を、自分の言葉ではっきりと否定できる独立の精神を持った段階だよ。
超人に至るためには「ラクダ→獅子→幼子」の3つの段階があるとニーチェは言っている。その3段階目の「幼子」とはどのような段階か?
→自らの創造力に身を委ね、自由気ままに遊ぶ段階
無邪気な精神が、超人の最終段階だよ。世界が無条件に肯定され、心のままに遊び、自由に創造的に、今この瞬間を生きることができるよ。
ニーチェの名言
神は死んだ。
『ツァラトゥストラはかく語りき』
これが人生か、さらばもう一度!
『ツァラトゥストラはかく語りき』
たった一度でいい。本当に魂が震えるほどの悦びを味わったのなら、その人生は生きるに値する。
『ツァラトゥストラはかく語りき』
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※アイキャッチ画像:フリードリヒ・ニーチェ(Gustav-Adolf Schultze (d. 1897) – Nietzsche by Walter Kaufmann, Princeton Paperbacks, Fourth Edition. ISBN 0-691-01983-5, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=95963による)