「神に救われるためには何をすればいいの?」「神によって救われたい!」と疑問に思ったことはないでしょうか? 哲学者たちも「神の救済」について考えています。ぜひ彼らの話を聞いてみましょう。 ※哲学者本人の言葉ではありません。彼らの思想や言葉から、筆者が想像して回答を書いています。
近代西洋の哲学者たちの回答
マルティン・ルター
「ただ信仰をすることが唯一救われる道である。そのためには、教会のいう宗教儀式や聖書の解釈などには従わずに、自ら聖書を読み、聖書に書いてあることだけに従いなさい。お金を払えば救われるということなど、決してありえない」
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ジャン・カルヴァン
「天国に行ける人間はあらかじめ神によって決められている。神は全能で、人間は無力なので、人間の行為では、その運命を変えることはできない。もちろん教会が唱える『善行』も無意味である」
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バールーフ・デ・スピノザ
「すべてを肯定し、すべてを赦すことである。人間に自由意志はないので、何か不都合を被ったとしても、その行為の原因を行為者に求めることはできない。すべてを神の視点から見れば、必然性の一部として起きているため、我々はすべてを肯定し、すべてを赦すことしかできない。すべてを肯定し、すべてを赦すことができたら、人は神を愛することとなり、神からも愛される」
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現代西洋の哲学者たちの回答
セーレン・キルケゴール
「人間は必ず絶望をしてしまう生き物で、その絶望によって自己を喪失してしまう。そして、絶望か、信仰かという選択の淵に立たされる。最後に、信仰を選びとり、単独者として神と一対一で向き合うことで本来の自分を取り戻すことができる。神の前に立つときは、『人間一般』としてではなく、ひとりで生まれひとりで死んでいく単独者として立べきである」
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フリードリヒ・ニーチェ
「神による救いなどない。キリスト教道徳は、奴隷道徳である。弱者を正当化させる詭弁であり妄想に過ぎない。ローマ人に迫害されたユダヤ人が、その現実を受け入れられないがために正当化した想像上の弱者の物語である。『我々は政治的に負けていたとしても、それは(博愛など)道徳的に優れているからだ』『この世が苦しくても天国で幸せになれる』といった考えは、今の苦しみに無理やり意味を見つけて自分を納得させようとしているだけである」
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